2012年2月12日日曜日

W・ヒューストン死去

今朝方、娘の電話に叩き起こされ

「オトウサン!ホイットニー・ヒューストンが死んだ。。。」

と知らされた。

ああ、、可哀想に。。。。

僕よりも彼女のファンである娘は

相当ショックを受けたらしい。

彼女は歌がべらぼうに上手かった。

歌い手一家に生まれ

美貌にも恵まれ

1stアルバムは

僕でさえ持っていた。

これ以上に何を望む?とさえ誰もが思うほど

美しく、才能に溢れた女性も

オカマ野郎のボビーブラウンと結婚し

やっぱり、映画「ボディーガード」と同じように

私生活は幸せでは無かったのだろうか?

ううん。。。ご冥福を祈ります。

2012年2月7日火曜日

遅ればせながら総括

本日、ボーマスへ行って

実際に関わった奏者達に

ハナシを訊いてきた。

渡辺さんとのリハーサルは

まあ、上手く行ったらしい。

予定ではプログラム最後に

渡辺さんがソロで演っている間

バックが準備をし

渡辺さん合図で

3曲ほど一緒に

共演すると云うモノだったが

いざ、蓋を開けてみれば

全く違うプログラムが書かれ

その指示をされて

奏者達も「何で???」だったらしい。

結局

その指示通りに演ってみれば

渡辺さん「ハナシが違う!」と

怒って2~3分のソロで帰ってしまった(苦笑)

結論、

JAICA側の責任者とボーマス側の責任者が

意思の疎通が出来ていなかったのが原因。

ボーマス側の責任者はボクもよく知る人物。

典型的なケニア人管理職の人。

勿論、音楽的、Ngoma的素養は無い。

が、管理職だし、ステージング・ダイレクターでもある。

JAICA側は次長としか知らないし

知りたくもない。

まあ、JAICA側がケニアの事情も知りもせず

勝手に自分達でコーディネイトして

ハナシをまとめられんかったのだから。

その次長が無教養で欲深いハゲなんだろう。。。。

本当のバカは自分の愚かさに気付きもしないし

何を言っても無駄だけど

ボーマスの奏者側に非は無かった事を

ここに明記しておく。

彼等は上の異なった指示に従ったまでで

決して客人の渡辺貞夫氏を

怒らせる気は無かった。

日本側でコーディネイトに関わったヤツ

一人の責任だ。ハッキリ言って。

現在、数人居るJAICAの次長で

一人は確実に本質的なバカだ。

ああ、恥ずかしい。。。

渡辺貞夫氏にもケニア人演奏者達にも

失礼な事をして。。。

でも、こういうバカは自分がバカだと云う事を

一生気付かないんだろうし

多分、ケニア側の責任者の

所為にしているんだろう。

が、ここに繰り返し明記する

“世界のナベサダが怒って帰っちゃった事件”は

そのJAICAの次長の全責任だ。

以上。