2010年7月28日水曜日

太鼓の種類 ブンブンブ その1

今まで僕が教わってきた楽器の説明をしよう

先ずは“ブンブンブ”から紹介したい。















上の写真でガキが叩いているのがそう。

叩き方も理想的な正しいフォームだ。

皮は固めで厚めの獣皮を張る事が多いが

最近は色々面倒なので大抵は牛皮を張っている。

サイズは色々で、元々は小さい物だったと思う。

それがKAYAを出てNGOMAの種類が多様化し

マシンダノ等のギリアマ文化が花開いた時期に

徐々に大型化していったと思われる。

最近は木が少ない、皮が高い等の理由で

ほぼ全てのブンブンブの大きさが決まってきた。

まあ、故・石川晶氏曰く

見た目そのまんまの

「木を刳り抜いて、皮をベタッと張っただけ」の太鼓だ(苦笑)

それがこの太鼓の一番の魅力であるし、ある意味弱点でもある。

基本的な音色はDjembeと同じ3種類で

オープン・ミュート・スラップしかない。

音の分離が難しく、オープン・ミュート共に低音系なので

Djembeのような派手なソロには向かないが

名手が大勢でユニゾるとまるで「大砲」のような低音を響かせる。

合理的・幾何学的なフォルムを持つDjembeとは

正反対の位置にあるので

デカイ音を出したければ「ブッ叩く!」感じになる。

ハードヒッターが多いギリアマ族でも

特にこの村はハードヒッターが多くガキの時分から

先ずは「ブッ叩く」事を学ぶ

上の写真もあの振り上げた高さから

若しくは肩も使い頭上高く振り上げた腕を

バレーボールのアタックさながら思いっ切り

腕をフルスイングで撃ち下ろす(笑)

通常の日本人はそこまで度胸も無いから

途中でスピードを緩めたりするんだが、、、、

本当に「大砲の音」を求めるならば

やはりフルスイングでイカなければ駄目だ!!

それじゃ手が壊れるって言う人は

ハナから叩かんでよろしい

そんな太鼓だ。

タッチの感覚もミュート音を多用するので

ゥドゥッ!!と空気が抜けるような音を出すには

打面から5cmぐらいメリ込むような感覚で

撃ち抜き、且つその振動を押さえ込まなければならない

だから細かい技には向かないし、ソロ楽器でもない。

太鼓自体の持つ“イカツさ”で楽器に触る前に

人を選んでしまう。

昔、大西匡哉君の店に置いておいた

僕のブンブンブ には訪れるDjembe客も

「見て見ぬふり」をしていたらしい(笑)

だから、REMOが流行りのドラムサークル用に

“ファイバー製ブンブンブ!”を作る事は先ず無いだろう。

ウチの村のJORO君やSAFARI君ら若手で

精力の有り余っている連中が叩きだす一発

これにシビれちゃった人達は多い。

まあ、音楽的か?どうかは別として(苦笑)

所謂、ハードヒッターと呼ばれる人達の生音を聴いてきたが、、、、

あはははははは!!!嘘ばっかりだ。

女の腐ったような音ばっかじゃねぇか?

元々鳴り易く出来た太鼓で大音量も無いもんだ

「木を刳り抜いて、ベタッと皮を張っただけ」の太鼓を

“大地をブッ叩く”“地球を張り倒す”ような感覚で

楽器をねじ伏せ鍛え上げた腕をもって

「大砲」ような音の塊を叩きだすのが

ハードヒッターなのだよ。

まあ、音楽的かは別としてね(苦笑)

こういった感覚にグッときちゃう人に

ピッタリの太鼓がブンブンブだろうな。。。。

2010年7月22日木曜日

Congo(旧・ザイール)までの道 その11 終わり

翌朝、一気にナイロビまで帰る

ウガンダとケニアの国境では

係員達に小銭をせびられ

「ああ、帰ってきたなぁ、、、」と感じる。

一切、賄賂等の要求をされなかった

ルワンダは素晴らしいと思うのだが

こうやって、チャイ(賄賂の隠語)を

集られると妙に和んでしまう僕がいる。

大抵の場合は向こうも本気じゃない。

どれだけ上手にかわせるか?

その辺のやり取りが上手になれば

大して苦にはならない。

最後、ナイロビまでの坂道の途中で

一度、全く動かなくなってしまったが、、、、

僕のデリカもよく頑張った!!

往復2600km、山あり谷あり穴あり、、、

老体に鞭を打ちながら本当に

よく頑張ってくれたと思う。

まあ、兎に角、その日の晩8時過ぎには

ナイロビへ無事に着いた。

僕は、今まで無駄に時間を費やして

あちこち歩き回ってきたようだけれど

その辺の無駄が役に立っている気がする。

こんな事は言いたくないが

悔しいけれど、やっぱし

今年38歳になる僕は

20代のように身軽ではない。

頭も身体も元気が無くなっている。

当り前か!?

だから、この時期に自分で運転して

コンゴまで行けた事は

凄く嬉しい。

また、行きたいな、、、、

2010年7月8日木曜日

Congo(旧・ザイール)までの道 その10

ウガンダでは帰りに「ムパンビレ」という村に寄り

昔馴染みの太鼓職人を訪ねる。

昔、NHKで故・石川晶氏がウガンダを訪ねる番組があり

そこに出ていた老人の叩く太鼓にノックアウトされた。

老人の名前はガイラ翁、太鼓の名前はバキシンバ。

僕は「ンゴマ・ンジョケズィ」なんて呼ぶ。

既にガイラ翁は亡くなり、この村も色々な事が変わっていた。

まあ、この場では「怒り」を極力抑えているので

簡単にしか言わないが、、、、

無知で無責任なバカが世界中で

「Africaの太鼓の代名詞=Djembe」

買い求める事によって

ここでもキチンとした太鼓職人が困っている。

要するに東アフリカにDjembeは無い。

それなのに金を持ったブクブク太った連中が

東アフリカ諸国でもDjembeを買い求めるから

昔ながらの

その各民族の

伝統的な腕の良い職人達が

その技術を捨てて偽物Djembeを作っている。

食べて行く為に。

いいか、

絶対に


間違っても


東アフリカで


Djembeなんて買い求めんなよ


バカ野郎が。。。。



と云う事で、連絡が途絶えた師匠の近況を尋ね

バキシンバ1つと、ナンカサ1つ、アマディンダ(小型)を

買ったらお金が無くなってしまった、、、、参った。

しかし、出発直前までアマディンダの調律を行ってくれた

ピーター達には感謝だ。

その技術を確りと守って欲しいと切に願う。

また、この日は滞在費を1日削るほど

太鼓に散財し、目的地到着前にこの村で

太鼓談義に盛り上がってしまった為に

飯抜きで夜12時まで車を走らせ

ケニアとの国境付近のトロロまで行く羽目になった。

ルワンダのメモ

数年振りに訪れたルワンダは

以前より、痛みの雰囲気が薄れた感じがした。

国は坂道が多く、森に囲まれ、緑が美しく、

女性も非常に美人が多い。

ルワンダ・ブルンジは美人揃いな事を知っている

日本人はどれくらい居るのだろう?

この両国は、実は隠れた美人の宝庫なのだ。

東アフリカ・コミュニティー参加の為か

スワヒリ語も普及し(勿論、キニャルワンダがベター)

僕は不自由なく行動する事が出来た。

不正も少なく、不正の王様(コンゴ)から戻った時には

ここは天国かと思ったほどだ。

車も制限速度60km前後で

ケニアで言うマタトゥもキチンと守っている。

時々、荒い運転をする人もいるが、

殆どの人が安全運転で(見通しの悪い峠が多いから?)

それと、ビニール袋が禁止され

アフリカ各地でみられる

「捨てられたビニール袋のゴミ」がなく。

本当に美しい国だったな。

バイバイ!またね!ルワンダ。

Congo(旧・ザイール)までの道 その9

ルワンダではもう一つの目的

ルワンダのNgomaを観て太鼓を持って帰る事

http://www.youtube.com/watch?v=XVVLhzJH0osで観た

隣国ブルンジとは似て非なる太鼓アンサンブルを

是非、みて帰りたかったのだ。

が、フェリックスに紹介された村は

生憎、太鼓叩き達が教会へ行ってしまい

踊りはナカナカだけれど、太鼓にはイマイチ迫力の無い

モノだったから、残念だったが、

数年前にヒュートレイシーのCD等で聴いた

長いお盆に弦を張ったような楽器の

生演奏を観る事が出来た。

予想通り、音量はそれほどでもないが

まあ、不思議なチューニングと

これほど簡素でありながら

キチンと弦楽器として機能することが

非常に驚きだった。

数回見た後、一緒に参加してキープ役を

叩かせて貰う。比較的簡単なパターンだった為

すぐ覚えらられたし、「ナカナカ上手いじゃないか」と

お世辞も言って貰えたが、叩く棒が太く重く、、、

すぐ腕が疲れてしまった。

改めて「最近、怠けてんな~」と反省。

手頃な大きさの太鼓を3つ買い求め

車に詰め込み、さて、、と。

ナイロビへ帰るか!!

Congo(旧・ザイール)までの道 その8

さて、出会えたコンゴの太鼓叩きは

両頬に穴が空き、パンチの効いた人だった。

韓国かどこかへ招聘された時の写真も

白塗りの顔に針を突き刺したモノで

ナカナカの迫力。

欲しかった太鼓を目の前にして

僕の全身から「これ、欲しいな」という

オーラが滲み出ていたと思う。

その辺が今回の失敗だった。

結局、

その太鼓+大きさの違う太鼓を一式

揃える事は叶わず、そのメインの太鼓だけ

3~4日間のすったもんだの末、手に入れた。

仕事は途中でコケたが、目的の太鼓を手にして

戻ったルワンダのキガリでは

色んな意味で羽目を外し、自分を祝った。

さて、後は帰るだけだ。

2010年7月4日日曜日

コンゴの常識・日本の常識(番外編)

僕はコンゴ初心者なので、、

歴戦の強者達が聞けば

「そんなの当たり前じゃん」程度の事だろうが、、

その1:ビザが無かった!?

一応ナイロビでビザは取れるのだが

蔦田さんにハナシを聞いていたので

国境でとる取る事にする。

ルワンダを無事に出てから

コンゴ側に入ると

”ゾンビ”のように制服達が群がってくる。

曰く「ビザは俺に任せろ!」

軽くいなして打ち合わせ通りフェリックスに頼むと

数分してからビザを貰えた。

が!パスポートには何も無く、、、

紙切れ一枚だけだった、、、

どうやら、これがビザらしい、、、本当かな??

その2:部屋の予約も賄賂次第 

一応キガリの国境越えが専門の業者を通じ

ゴマで一番のホテルを予約しておいたのだが、、、

どのくらいのホテルかと言うと、

大統領や官僚達、後は外人ばかりが泊るホテル。

しかし!受付曰く「そんな名前の予約は無い」

フェリックスさんが幾らか掴ませると、、、

「おお!こんな所に名前があった!!」

しかし! 連れて行かれた部屋は

発電機の上で、、話しもできない(笑)

他の部屋にしろ!と怒っても「満室」の一点張り。

しかし!再び幾らか掴ませると

静かな湖畔の部屋が用意された(笑)

その3:女は黙って酒を注ぐ!

一応ナイロビの夜のオネエチャン達は

「ねぇねぇ、一杯おごってよ!イイでしょ?」といった感じで

色々な事が始まるのだが、、、

ゴマのオネエチャンはイキナリ隣りに座って

俺のビールをを勝手に注ぎ始める(笑)

おい、ちょっと待て!コラ!(笑)とたしなめると

「●×△◎×▼!?」と言って去って行った(笑)

横ではフェリックスが大笑いしている(笑)

いやぁ~ナメられてんなぁ~俺は!!

これがキッカケで毎晩出かけることになる。

その4:ポリへの賄賂は迅速に!! 


日中車で市外へ出ると

各ランドアバウトでポリに捕まる(笑) 


理由は、、、

*飲み水を積んでいない
*窓を開けて走っている
*タイヤが指定のモノではない等、、、なんでも良い(笑)

問題は、、、

ポリは1人2人の内にハナシをつけることだ。

さもないと、、、

ウヨウヨ後からやって来て

「私はこれで良いが、、、他の連中が何と言うか、、、」

という事で手痛い出費を余儀なくされる(笑)

まぁ、ルワンダ・ナンバーの車で

外人の僕が助手席に乗っていれば

そりゃあ、カモだよな。

隠れて上手くやり過ごせても

見つけられた途端!バイクで追いかけて来て

次のランドアバウトで止めるという強者も居た(笑)



他にもか数え切れないほど賄賂を払ったが、、、

フェリックス曰く

「ウチのボスはコンゴ生まれのコンゴ育ちだから、、、」

事情をよく分かっているらしい(笑)

だから、領収書無しの出費もある程度は問題が無い。

僕のボスもコンゴを知っている人で良かった、、、

兎に角、最初は強烈に直接的で面食らったが、

慣れればなんて事は無い。

ポリには平伏して(笑)オネエチャンは上手にあしらい

ホテルの受け付けもNgomaのお陰で仲良くなり。

最終日は凄い部屋に移らせてもらった。

そうさ

僕はいつの間にか、、この国・人が好きになっていたんだ。

Congo(旧・ザイール)までの道 その7

さて、念願のコンゴ(旧ザイール)だ!!

この国は僕にとって特別な国の一つ。

Ngomaの凄腕達がウヨウヨしている。

本当は他の用事で来たのだけれど、、、

途中でキャンセルになり、じっくり太鼓三昧するつもり。

しかし、到着地のゴマは難民キャンプよろしく

なかなかNgoma的な匂いを感じさせてくれない。

賄賂の度合いはケニアの数倍はイクほどの

激しさで、、、

初めてケニアに来た頃を思い出した。

酒場のオネエチャン達や、土産物屋のおっさん達と

ワイのワイのやりながら、お目当ての太鼓にたどり着く。

ドライバー兼、通訳のフェリックスさんのコネが効いた!

なんと翌日にはソノ目当ての太鼓一式に辿り着いたのだ。

しかし、、フランス語は音が美しい、、、

フェリックスさんがフランス語で

美しいコンゴの女性を口説くのをみて

絶対にフランス語を勉強しようと決めた。

ああ、僕にフランス語が出来たら

ありったけの言葉を使って

彼女のう美しさを讃えるのに、、、

こんな気持ちも

初めてケニアに来た頃みたいだ。

うううう、、、ぐやしい、、、