“世界初の●×奏者!?” と云うのは、実は仕掛けがあって、
「ただ単に今まで外人で演る人が居なかっただけ」の場合がある。
飛ぶ鳥を落とす勢いの“Anyango”こと向山恵理子も同じ。
俺とニャムングのハナシに乗っかっただけ。
恵理子の前にニャティティを学んだ女性は居ただろう。
ただし、恵理子ほどニャティティに真摯に取り組み、
あのレベルまで学んだ奴は居ない。
俺が知っている範囲だけでも、未だ外国人の奏者が居ない楽器は沢山ある。
恵理子の本当に評価されるべきところは、“世界初の云々”じゃない。
“村に入って生活し、、、”でもない。
彼女の“ニャティティの芸”自身にあると思う。
最近は、全く連絡が無い状態なので知らないが。
多くの人を魅了しているのだろう。
奴の歌うニャティティで、埋もれていたニャティティの美しさと、
可能性が新たに広がれば、素晴らしい事に違いない。
ただ、恵理子はニャムングとオモシと対話する場を持った方が良いんじゃないか?
仮にも自分の師匠と持ち上げた相手を、半年以上にも渡って無視し続けるのは、
道義に反するんじゃないかと思う。
ケニアと日本は依然として遠く、こちらの声は先ず日本に届かない。
日本⇔ケニア間を行きできる者だけが情報を操作できる。
恵理子にはそこに悪意が無い事を祈るのみだ。
ハナシが脱線したけれど、折角の才能と努力があるのに、、、
「世界初の云々、、」という謳い文句は逆に安っぽく見えてしまうという事だ。
ハッタリは無しで、どうせなら素っ裸で勝負したら良いのに、、、勿体無い。
W・マータイさんじゃないけれど、ホント、勿体無いな。
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